鬼子母神様

真成寺の鬼子母神様

 真成寺の初代住職である慈光院日等上人が、師匠の日乾上人から授与された鬼子母神様を本堂に祀っております。
 日等上人は真成寺開創当時、法華経行者擁護の祈祷本尊である鬼子母神様を中心に、【法華経】“南無妙法蓮華経”のご祈願をもって、多くの篤信者を得られました。
 ある時は、大家老の大病を治癒されたり、また難産を安産に導かれたり、信仰の力によって人々の悩みに寄り添いながら願いを成就されました。
 真成寺に祀られる鬼子母神様は、霊験あらたかな神仏として尊崇されながら今日まで伝承されております。
 昔から真成寺の鬼子母神様は、難病にかかっても真剣にお参りをすると治癒するといわれています。
 また、子宝に恵まれず、諦めていたご夫婦がお参りをしたところ、「翌月に子供が授かりました」という感謝のご報告をいただくことも少なくありません。
 真成寺の檀家様以外の信者(信徒)さまからは、「お乳もらいの鬼子母神様」として親しまれ信仰されております。
 鬼子母神様の御開帳は、秋の縁日10月8日の『鬼子母神大祭』その日限りの1日限定で御開帳されます。
 全国各地から報恩の御祭礼に老若男女を問わず、御参拝に訪れて賑わっております。

『鬼子母神銅像』~銅像で初の鬼子母神様~

 真成寺では、宗祖日蓮聖人御降誕800年記念事業の一環として、鬼子母神銅像の建立に伴い、駐車場の整備を行いました。
 銅製の鬼子母神像としては前代未聞の建立。
 銅像の高さは1.5m。台座1m。合わせて2.5mの銅製の像で、有志62名様の御寄進を元に製作されました。
 向かって左に「ザクロの木」を植え、右に梵鐘。
 本堂裏に当たる、真成寺駐車場に設置されています。

 お近くにお寄りの際は、お気軽にご参詣ください。

鬼子母神様の由来

 鬼子母神(きしもじん)は、お釈迦様のお説きになられた「法華経(ほけきょう)」の中に登場する神様です。
 鬼子母神様の説話の中で、特に有名な1つの伝説があります。
 鬼子母神は、とても美しい夜叉(やしゃ)の女神で、1,000 人の子宝に恵まれました。
 この1,000人の我が子を、1人残らず分け隔てなく愛するほど、母性愛が強かった。我が子に栄養を付けさせて、立派に成長してもらいたい。その一心で夜叉にとっては栄養豊富な人間の子供をさらって来ては食べさせていました。
 人間側から見れば暴虐この上なく、我が子が何時さらわれる事かと恐れ憎んでいました。
 人々は憂えてお釈迦様に相談しました。
 お釈迦様は一計を案じ、鬼子母神が最も可愛がっていた一番下の子供の姿を神通力によって隠してしまいました。鬼子母神は嘆きそして悲しみ、必死になって世界中を気も狂わんばかりに探し回りましたが、勿論見つかるはずもなく、途方に暮れついにお釈迦様の元に行き、自分の子供が居なくなり見つからないことを話し助けを求めました。
 お釈迦様はそれに答えて、「お前には万子があるのに、ただ一子を失って憂悲苦悩している。ところが世間の人々は一子、あるいは三子五子であるのに、しかもお前は自分の我が子を愛するが故に、人間の子供をさらっては食していたのではないか!!」と、厳しく誡めました。戒められた鬼子母神は、そこでハッと自らの悪事の罪に気付き(悟り)、今後は2度と人の子を殺さないと悔いたのです。
 つまり、「命の大切さと、子供が可愛いことには人間と鬼神の間にも変わりはない」と諭されました。そうやって鬼子母神は、お釈迦様の教えを受け、全ての子供たちとお釈迦様の教え、またお釈迦様の教えを信じる全ての人たちを守ることを誓い改心しました。仏の弟子となった鬼子母神様は鬼ではなく、仏教・法華経と子供の守り神となりました。

鬼子母神様の由来(更に詳しく)

 「鬼子母神様」は元々インドの神様で、五百人とも千人とも言われるくらい、多くの子供を持っておられたと言いますから大変な子持の神様です。
 その昔、鬼子母神様はインドで訶梨帝母(かりていも)と呼ばれ、王舎城(おうしゃじょう)の夜叉神(やしゃじん)の可愛い娘として生を受けました。年を重ねる事に益々美しい女性へと成長していった訶梨帝母は、年頃になり嫁いだ先で、五百人もの子供に恵まれました。
 そんな訶梨帝母は過去世の因縁で、王舎城の人間達に恨みを抱いており、その遺恨が勃発し、人間の幼児を拉致してきては、人間達から恐れ憎まれるようになりました。
 悩み苦しんだ人間達はお釈迦様に相談したところ、お釈迦様は、訶梨帝母に自分の過ちに気付かせ、訶梨帝母の心を救おうと考えました。そして訶梨帝母が一番可愛がっていた末の子であるビンガラを隠してしまいました。その時の帝母の嘆き悲しみ様は限りなかった。その様子を見守っておられたお釈迦様は訶梨帝母に、“千人のうちの一子を失うもかくの如し。いわんや人の一子を食らうとき、その父母の嘆きやいかん”と戒められました。戒めを受けた訶梨帝母は、「これは本当に悪かった…。私が自分の子供達を可愛がるように、人間のお母さん達も、自分の子供は可愛いものなんだなぁ…。私は何という事をしたのだろう…。」と心から反省と後悔をし、はじめて人間達の苦悩の深さを悟ることができました。そして人間達に、拉致してきた人間の子供達を無事にお返しをする事ができましたのでした。それからは人間の子供も、自分の子供と同じ様に可愛がられるようになり、人々からは「小児の神」として、尊崇されるようになったとされています。

 もともと子供達のことが好きだったから、子供達の心がよく分かります。鬼子母神様は不思議な術を使って、子供達の心からの願い事をよく叶えられるようになりました。
 鬼子母神様は、はじめは自分の事だけしか考えていなかった(傲慢な心)のですが、お釈迦様に諭されて、自分に過ちに気付かれました。それからは、人の役に立たねばならぬ(無償の愛情)と、心をあらためられた神様ですから、私達がどれだけお願いしても、その心に、自分さえ良ければ人はどうなっても良い、というような自分勝手な者の願い事はきいてもらえません。つまり、祈りの動機が大事なのです。
 無償の愛情(仏様の心)からなる願い事、つまり独りよがりの願い事ではなく、むしろ自分よりも人の為になろうという、人間で一番気高い心から出る祈りは、鬼子母神様が願う心と同じですから、何かの岐路に差し掛かった時などは、鬼子母神様は喜んで、正しい方向へと光を灯して導いて下さる事でしょう。
 私達は、大人も子供もみんな仏様の心に照準を合わせて、まずは自分から努力し、困っている人を助ける事を願い、社会の役に立つ人間になる様に、鬼子母神様への祈りを通して導いて頂きましょう。
 日蓮聖人は“十羅刹女と申すは10人の大鬼神女(だいきじんにょ)、四天下(してんげ)の一切の鬼神の母なり。また十羅刹女の母なり、鬼子母神これなり”と述べられ、鬼子母神様を最重視されておられます。

 いくつもある鬼子母神の説話の中で特に有名なものが、鬼子母はもとは邪神でインドの王舎城の町にきては手当たり次第に人間の幼児をさらってきては、自分の可愛い子供達に人間の子供達を食べさせようとしていたのです。
 人々がこれを憂えてお釈迦様に救いを求めたので、お釈迦様は人々の悲しみを憐れんで彼女の愛子賓伽羅(びんがら)を鉢の底に隠してしまわれた。鬼子母は七日間もの時間、地獄の世界から仏様の世界まで隈無く探し求めましたが愛子賓伽羅を見つけることができず、ついにお釈迦様のもとに来たって、子供の行方を尋ねました。
 お釈迦様は鬼子母の懇願に答えて、“おまえは万子があるのにただ一子を失って憂悲苦悩している。ところが世間の人々は一子、あるいは三子五子であるのに、しかもおまえはその子供を殺したのではないか”とその悪行を厳しく戒められたのです。
 鬼子母はやっと自らの悪事の罪を悟り、賓伽羅が戻れば二度と人の子供を殺さないと悔いたのでした。そこでお釈迦様は鬼子母に鉢の下の賓伽羅を見せしめました。ところが鬼子母がどのような神通力を用いても子を取りだすことができません。鬼子母はお釈迦様ににすがって賓伽羅を返して下さい願いました。
 そこでお釈迦様は、『三帰五戒(さんきごかい)』という教えを守り、常に守る事を約束させました。鬼子母はお釈迦様に従い、三帰五戒の教えを受けて、それからは困っている人を助け、仏の道を説き弘める人を守護する誓いを立てられ大善神となりました。
「鬼子母神」という名は、訶利帝(ハーリティ)の意訳で、訶梨帝、呵利底、可梨陀等の字が梵名にあてられており、その意から訶利帝母・歓喜母(かんぎも)・愛子母・天母・大夜叉女神等ともよばれています。
 鬼の王様、般闍迦(はんじゃか)の妻で一万の鬼子(五百子、一千子の説もある)の母であるところから鬼子母の名が付けられ、その誕生の時に夜叉衆(やしゃゆう)が歓喜したところから歓喜母と名づけられています。
 鬼子母神信仰は平安朝の昔から一般的に信仰されておりましたが現在では、法華経信仰者、日蓮宗の僧侶にとりまして、鬼子母神様は単に子供を守る神様ではなく、信仰者の外護神(げごしん)として崇められております。
 また、鬼子母神様の事が書かれている経典や、これを祀りお祈りする方法を記している儀軌(密教での儀式の規則)の類は非常に多く、例えば「訶梨帝母経・訶梨帝母因縁経・鬼子母経・大薬叉女歓喜母并愛子成就法・訶梨帝母真言法・呪賊経・十羅刹女法」というようなものから、「毘那耶雑事・南海寄帰内法伝」というような類いに至るまで数多くのものがあります。

(補足)
『三帰』とは仏の教えを仰ぎ尊ぶことを三宝に誓い、帰依の誠を表わすために唱える文である。三宝に帰依することは仏教徒としての根本であり、三宝とは、さとりを開いた人(仏)と、その教え(法)と、それを奉ずる教団(僧)の三つをいい、帰依とは服従し、すがることをいう。『五戒』とは、不殺生(生命のあるものを殺さない)、不偸盗(与えられないものを取らない)、不邪淫(みだらな男女関係を結ばない)、不妄語(いつわりを語らない)、不飲酒(酒類を飲まない)の五つを言います。こうして鬼子母神様はは仏様の弟子となり、人々を救う大善神に成りました。

十羅刹女とは

 鬼神の代表者である「十羅刹女」とは、十人の羅刹女(鬼女)という事です。
 ①藍婆(らんば)②毘藍婆(びらんば)③曲歯(こくし)④華歯(けし)⑤黒歯(こくし)⑥多髪(たほつ)⑦無厭足(むえんぞく)⑧持瓔珞(じようらく)⑨皐諦(こうたい)⑩奪一切衆生精気(だついっさいしゅじょうしょうけ)という名前が付けられ、この十羅刹女の上首が皐諦女(こうたいにょ)とされています。
 さて、この十羅刹女は法華経で鬼子母神様と同格に見られてる神様ですが、一般には鬼子母神様ほど知られていません。他の経典や儀軌の中にも無く、ただほんのわずかに天台宗の方で伝えられているに過ぎません。しかし鬼子母神様が、色々な経典などでは極めて個人的な欲求を満足させる利己的な神として誤り伝えられているのに対し、『法華経』では鬼子母神様も、十羅刹女と同じく世の中に正しい教え、正しい生き方を宣伝する『法華経』の伝道者、また信者を守るという本来の姿を示されましたから、この神様方の本当の任務が広く一般に知られなければならないわけです。これを知らせ、弘めたのが鎌倉時代の中期頃に出られた日蓮聖人でした。

法華経と鬼子母神様

 京都の比叡山をひらいた最澄(伝教大師)は中国から天台宗を、和歌山県の高野山をひらいた空海(弘法大師)は同じく真言宗を伝えました。この両大師の流れをくむ天台宗や真言宗では鬼子母神様を祀って種々の願い事を叶えて頂くために、色々な秘法を伝えてきました。
 どんなことが叶えられるかと言いますと、子供の欲しい人は「七日で身籠もることができます」とか、「安産ができるように」、「夫婦が仲良く暮らせるように」、「人から好かれるように」、「病気が治るように」、「心願成就するように」などなど、様々な災難からまぬがれ、願いが聞きとどけられますように…と、数多くの願い事を祈り、そして叶えられますよと示されています。我々に願い事が多いのは、欲多き凡夫ゆえでしょう。
 しかしこういう願い事は、ややもすると、きわめて個人的な欲求を満足させるためのもので、広く大きく世のため、人のために行われる法ではありません。
 そこで注目するのが、仏様の御意志を説かれた【法華経】の「鬼子母神様」です。【法華経】の第二十六章に『陀羅尼品』という経典があります。ここには持国天王(じこくてんのう)・毘沙門天王(びしゃもんてんのう)・増長天王(ぞうちょうてんのう)・広目天王(こうもくてんのう)といって、この世界を守護するため東西南北に四人の神様がおられますが、この中の持国・毘沙門の二天王と勇施菩薩(ゆうぜぼさつ)・薬王菩薩(やくおうぼさつ)という二人の菩薩と、全世界の鬼神の代表者である十羅刹女・鬼子母神様があげられています。
 ここにあげられた神様や菩薩様は、【法華経】を信じ実践する人を守護しなさいと、仏様から直々に命ぜられ、また自らもすすんで守護する事を誓っておられます。
 とくに十羅刹女と鬼子母神様は「法華経を読み、信ずる者を守って安穏にし、その人の気力、体力が衰えないようにしましょう」と誓い、多くの魔王・鬼神達に対しては、「もしわが頭に上って土足で踏みにじるようなことをしても私は怒りません。しかし【法華経】を信じ、弘めようとする人を、絶対に苦しめるようなことがあってはならぬ」と厳しく戒められておられます。
 【法華経】つまり“妙法蓮華経”を信じ、身にその教えを行う事を“南無”すると申します。“南無妙法蓮華経”とは、妙法蓮華経を信じ帰伏するという意味になります。十羅刹女・鬼子母神様はこの「南無妙法蓮華経」と唱える人を守護いたしますという大誓願を立てられました。
 【法華経】を信じ実践するとは、「自らが仏様であるという自覚を持ち、その様に行動する事であります」。仏様の行動とは、“菩薩行”ということになります。菩薩行は「無償の愛情」からなる行動です。無償の愛情(仏の心)を注いで接する事で、無償の愛情を注がれた相手も、自ら具えいる仏の心に共鳴し、自然と菩薩行をするようになります。信じ実践するところに、想いは伝わるのです。

 『法華経陀羅尼品第26』には、法華経を受持する人を守護すると説かれています。
 子育安産・病気平癒・除病・厄除け・法華経行者守護・所願成就・事業繁栄の御利益。天下泰平、五穀豊穣、万民快楽、子育守護等の祈願成就の御尊体として広く全国信徒の信仰を集める。

-鬼子母神様の御縁日-
 鬼子母尊神 毎月8日 18日 28日

日蓮宗の鬼子母神様

 日蓮聖人が鬼子母神様を【法華経】の守護神として大曼陀羅の中に勧請し、十羅刹女と共に諸天善神の中でも特に重視していたことはよく知られています。
 法華経第二六番目の陀羅尼品の一説に、法華経の伝道者を悩ます者の罪と罰を言明する。仏はそれに答えて有名な「受持法華名者、福不可量(法華の御名を受持せん者福量るべからず)」の金文を説いて、十羅刹・鬼子母に行者擁護を命じました。十羅刹女と鬼子母神としての存在意義は、法華行者擁護の使命にあります。そして日蓮聖人は自らをその守護せらるべき仏の勅使=「法華経の行者」と自覚信得されておられたのであります。ここに日蓮聖人と十羅刹・鬼子母神との法華経を通した絆が結ばれるのであります。
 法華経を身に読むことによって法華経を証明せんとした日蓮聖人によって、鬼子母神様の擁護は、陀羅尼品の誓いの実現という面から、また逆にまさしく日蓮聖人が「法華経の行者」であることの証しから、法華経が絶対の真実であるための証明で、迫害に遭うたびに祈祷に熱がこもっていったのです。

鬼子母神様と日蓮聖人

 日蓮聖人の御生涯は、“大難四度、小難数知れず”と言われるほど多くの災難を受けられた一生涯でした。島流しが二度、襲撃を受けて殺されそうになったり、刑場に引き出されて首を斬られようとしたりしましたが、その難から逃れる事が出来ました。日蓮聖人は弟子、信者に対し、この教えを信じる者、人に伝える者には必ず諸天善神の御加護、ことに十羅刹女、鬼子母神の守護があることを教え、不抜の信仰に徹底されておられますが、日蓮聖人は次の様に御教示されておられます。
①十羅刹女・鬼子母神は、【法華経】の信仰者を、何をおいても守り、また守らねばならない責任がある。
②信仰者の方も、御守護を要請して、早く御加護を得られるように祈るべきである。
③十羅刹女・鬼子母神は信仰者達の信念を試みようとして、色々な障害を加える事がある。
④また身代わりとなって助け、迫害する者を罰する事もある。
⑤信仰者であっても、不義なことをした時にはかえって罰を加える事もある。
 以上のように、その御守護のありさまを教えられております。また、鬼子母神様は十羅刹女の母であるとも示しておられます。日蓮聖人の書き残された著作や消息は、五百有予篇にものぼり、また御本尊として書かれた御曼荼羅は約三百余幅に及びますが、その中に“十羅刹女・鬼子母神様”について、時につけ折に触れて書き記されています。
 日蓮宗では十羅刹女・鬼子母神様はもっとも大切な守護神として、僧侶はもちろん、檀家さんや信者さん達からも崇められております。

 

日蓮聖人滅後の鬼子母神様信仰

 もともと日蓮聖人は『祈祷経』を残しており、室町から織豊期にかけて、公武の帰依や庶民の中に信徒が増大するに及び、法華信徒の現安後善(現世は安穏にして、後生は善処に生まれ出る)を祈る本宗(日蓮宗)の祈祷が盛んになって、祈祷の対象としての守護神に変化がみられるようになりました。
 前述した鬼子母一神化がそれであり、その結果として鬼子母神様の木画像に本宗独特な様式が見え出しました。徳川期になると、太平の庶民を導く布教の手段として、修法道が飛躍的な発展を示しました。江戸初期の最高指導者である心性院日遠上人が『祈祷瓶水抄』という祈祷の解説書を著すほどでありました。この本宗の祈祷の展開の中で、法華経で擁護を誓い、大曼陀羅の中に勧請され、一切の鬼神を子とする鬼子母神が本宗祈祷の本尊と定められたのであります。そしてその形像に「鬼形鬼子母神」という、他宗ではみられぬ憤怒形の立像が安置されるようになりました。

鬼子母神様と私達信仰者

私達の中には、「一人で生きている」または、「自分一人だけで生きていける」という人は、誰一人としておられません。着る服装や、食べる物、住まう家。はたまた毎日の仕事、どれをとっても、何を見ても人の世話にならないものはありません。
 しかし世の中には身体も丈夫、家庭も順調、事業も平穏無事に進んでいるという人がいます。そんな人の多くは、人生が順調すぎて、周囲の人々のことを考える機会が少なかった為に、「俺が俺が、私が私が」と知らずのうちに傲慢な考えになってしまった人もいるでしょう。こういう人が一度病気になったり、事業不振にでもなれば「一人で生きている」という思い上がった考えはたちまちに消え去り、不幸で、不安な状態になり、「自分一人の力で…」という気持ちから生まれた傲慢という我が儘により、遂には自分の無能力を知ることになり、何事も自身一人の力では及ばぬ事を悟って、神仏に頼ることになります。仏はそれゆえ「病は仏道の初門である」と言われました。
 神様や仏様は人々を守り、特に【法華経】の正法を信ずる人を、昼夜問わず常に守護しておられますのは、ちょうど母親が子供を育てるのに千辛万苦し、自分の愛情のあらん限りを注ぎ、しかも子供が母親を呼んで、嬉しい事や、苦しいことを訴えれば、共に喜び、共に苦しみ、その苦悩を除いてやろうと苦心するのと同じであります。
 神仏様の慈愛は、私達が願い訴えるならば、必ず私達に応えて下さるという事なのです。 日蓮聖人は、“法華経を信ずる者を守ると誓った鬼子母神様の守護を頼りにするだけではなくて、こちらからの方から手を合わせて、キチンとお願いをする事で、私達の心の平安を得るのである”と御教示なさっておられます。
 私達は【法華経】という正しい教えを信じて、正しい教えを行う所に、はじめて神仏様の力がそこに加わり、私達の心の平和が得られるのです。
 以上述べました通り、鬼子母神様は【法華経】を信ずる者を常に守り助けておられるのですから、私達は安心して信仰すれば良いのです。鬼子母神様が常に寄り添って下さっていると確信を持てれば、子供が母親を呼ぶように私達も喜びにつけ、悲しみ苦しみにつけお願いをすれば、鬼子母神様と私達の心が感応同交(衆生の機感と仏様の応用とが互いに投合すること)して、共に喜び、または苦しみや悩みを取り除いて下さる事でしょう。これが鬼子母神様の責任であり、義務であり、そして自ら立てられた誓いを満たされる鬼子母神様の行であります。
 ただ、心から念じ、心から拝む心に、はじめて本当の功徳というものが授かるのです。

鬼子母神様の詩碑

法華経信仰に生きる者 日蓮宗に属する者にとり 外護神として崇拝されている。
 最近親子の諍いとみに多し 慈しみの心もて子を育てれば 子は親を敬して治まるに 何故か悲惨な出来事 次々と現れるに及ぶ 家庭の和合最も重要なり 世は移り親にとっても 子にとっても難し時代 信頼の絆を強め いま少しの努力と 一段の親睦が何よりと思う そを何故に怠るや 親子断絶の現代こそ 鬼子母神の御手に縋らんと 信心深き人々詣りて 想いを込めてその御光に ひたすら親子和合を願い 家内の安寧を祈念す いまの世にして何れの方も 驕傲の心もってしては その末危うからんや 己々が謙虚に處してこそ 拓かれる白道が見え来り はじめて安泰の道となる 「家庭の平和」即ちこれ地域社会に及び 国を超えて遂には 世界平和の基となれり

「柘榴」と「吉祥果」

『柘榴』
 経典や儀軌には、柘榴が訶梨帝の好きな食べ物だから、これを常備しており、諸鬼はこの柘榴を見ただけでも、恐れて近づかないのだと記しています。そこから、鬼子母神様の持ち物に柘榴(吉祥果)が欠かせないものとなっています。仏様が柘榴は人間の肉に似通った味がするから、これを食べて我慢しなさいと言われたという伝説が始まりですが、これは俗説です(笑)。

『吉祥果』
 ザクロの実を見ると、1つの実の中に沢山の小さな実があり、その1つ1つがそれぞれに小さな種を持っているのです。このザクロの見た目から、古来よりザクロは子孫繁栄をあらわす縁起の良い果物として「吉祥果」と言われる様になりました。
 鬼子母神様が右手にザクロの枝をお持ちになられるのは、子供を守る神として子孫繁栄の願いが込められているという事です。