お檀家信徒の皆さまに大切なご報告を申し上げます。玉蓮山真成寺第三十五世 浄心院日徳上人(じょうしんいんにっとくしょうにん=谷川寛俊)は、去る九月六日、世寿七十八にて静かに旅立ちました。寛俊住職は昭和六十一年に真成寺住職を拝命して以来、三十八年という長きにわたり、全国のご寺院や管内寺院、そして何より檀信徒の皆さまに支えられながら、住職としての務めを果たし続けてまいりました。その歩みは決して派手なものではなく、常に目の前の務めを誠実に、一つひとつ積み重ねる人生でありました。
■ 通夜・葬儀に際して通夜・葬儀には大変多くの皆さまにご参列を賜り、また心温まるご厚志や御供花をいただきましたこと、遺族一同、心より深く御礼申し上げます。皆さまよりお聞かせいただいた住職との思い出やエピソードの数々は、まるでアルバムのように寛俊住職の人生を彩り、その豊かさを伝えてくださいました。その一つひとつに触れるたび、私ども遺族も住職の人柄の広がりを改めて感じることができました。
■ 僧侶としての歩み住職就任以来、寛俊師は本堂屋根の銅板葺き替え、庫裡の新築、永代供養墓「久遠廟」の建立、駐車場の拡張など、寺門興隆のために数々の事業を進めてまいりました。それらは「ご縁をいただいた方に恥じぬよう、住職としての責務を果たす」その思い一筋で取り組んできた事業でした。そして本年四月には、山門の屋根瓦修復工事を終え、「これで思い残すことはない」と語っておりました。住職がその生涯をかけて尽力したものは、寺院の発展のみならず、なによりも檀信徒お一人おひとりの心に寄り添い、法灯を守り、安心と笑顔を届けることでした。
■ 家族の中での姿家族にとっての住職は、僧侶としての厳格さよりも、常に「ありがとう、ありがとう」と感謝を口にする温かな存在でした。孫を抱き上げる時も、病床にあっても、その眼差しはいつも優しく、慈しみに満ちておりました。周囲が慌ただしい時には、決まって「大丈夫、大丈夫」という言葉をかけながら、家族を励まし、安心させてくれる。その姿はまさに『家族の礎」であり、言葉に尽くせぬほどの支えでした。
■ 闘病から旅立ちまで住職は昨年十二月、膵臓癌(すいぞうがん)が見つかり、主治医から余命を告げられました。しかし幸いにも早期発見で、膵臓切除の道も模索されました。ところが年明けの検査で肝臓と肺への転移が判明し、手術は断念。抗癌剤治療に切り替えましたが、病は静かに進行を続けました。それでも住職は「お盆は住職が勤めなければならない」と強い使命感を示し、治療を一時中断してでもお盆行事をやり遂げました。主治医からは「治療を再開できないかもしれない」と忠告を受けながらも、住職としての務めを選んだのです。八月には病状が進行し、終末期に入っていましたが、住職はなお、檀家葬儀の導師を務めることを希望し、病身を押してその務めを果たしました。退院を目前にした九月六日。病室にて容態が急変し、家族に看取られることもなく、静かに、しかし凛として旅立ちました。それはまるjで「己の道を最後まで歩み切る」そんな住職の生き様そのものを表す旅立ちでございました。
■ 学びと誓い僧侶として数多くの葬儀を務めてきた私も、喪主として父を見送る中で、これまでにない深い学びをいただきました。「一期一会」父との別れを通じて、この言葉の重みを心の底から実感しています。父が生涯をかけて示してくれたのは、「ご縁に感謝し、人と人とを結ぶことの尊さ」でした。その志を受け継ぎ、これからもより一層精進してまいります。
■ 結びにこのたびはご多用の中、ご会葬・ご焼香を賜り、またご厚志、ご芳志を賜りましたこと、心より御礼申し上げます。住職が安心して眠れるよう、私自身も、家族も、これからも日々を大切に歩んでまいります。突然のご報告となりましたが、ここに謹んでお伝え申し上げます。
合掌 南無妙法蓮華経
喪主: 谷川寛敬・総代世話人一同・親族一同

