慈光院日等上人の墓碑

 真成寺の初代住職・慈光院日等上人は、天文4年(1535年)4月1日、58才でお亡くなりになりました。
 時を経てること昭和39年7月1日のこと。真成寺の女性檀信徒のグループ「たちばな婦人会」の発願により、日等上人の生まれ故郷、魚津市大谷の山間に墓碑を建立し、真成寺第34世・谷川日龍上人導師のもと落成式を行いました。
 以来、毎年7月第3日曜日の早朝、日等上人のご遺徳に感謝して墓碑周辺の清掃活動をさせて頂いております。山の新鮮な空気を吸いながら、真成寺住職を筆頭に、檀信徒や一般有志の皆様と一緒に行う清掃は、自らの心磨き、清々しい気持ちになります。
 真成寺の檀信徒ではない有志多数の皆様から仰がれ、大切に扱われている聖地。清掃活動は、どなたでも自由にご参加いただけます。参加ご希望の方は、お電話かMailにてお気軽にご連絡ください。

TEL 0765-22-2268
Mail:nbmkanjp@yahoo.co.jp


真如房から慈光院日等上人への改名

 玉ノ池伊織と吉崎多聞の両武士は、真如房の師匠である、日乾上人を尋ね京都に参上し、日乾上人に新寺建立を報告すると、日乾上人の喜び一方ならず“玉連山真成寺”というお寺の名前(山号寺号)と、真如房に“慈光院日等”という僧名(院号)を賜りました。更に日蓮聖人の御尊像(鎌倉時代の作)を授与されたのです。この御尊像は毎月1日午前5時の朝勤に御開帳させて頂いております。
 また、日等上人が大家老の難病を御祈祷する時に所持された鬼子母神様は、足利時代に将軍足利義教に「立正治国論」を献上し、水攻め火攻めの後、熱々に焼かれた焼鍋を頭に被せられるという法難に遭われた、通称“鍋かむり日親上人”の御作と伝えられております。そんな日親上人が荒修行中に、三体の鬼子母神様を彫り上げられたと言われますが、そのうちの一体が、その時所持された鬼子母神様という伝承があります。
 真成寺は別名「鬼子母神様のお寺」として親しまれておりますが、その鬼子母神様の霊験にすがり、昔から他宗派からも「お乳もらいの鬼子母神様」と信仰され、霊験あらたかで、毎年10月8日の御縁日には、午前11時の御祭礼に御開帳させていただいております。

日等上人の師匠「寂照院日乾」上人

 日乾上人は、永禄3年(1560年)〜 寛永12年(1635年)10月27日(諸説あり12月6日とも言われている)、安土桃山時代から江戸時代前期にかけてご活躍なされた日蓮宗中興の僧侶です。
 慶長6年(1601=江戸時代)京都本満寺の貫首や、日蓮宗総本山身延山久遠寺の第21世住職をはじめ、大阪能勢関西身延と称される、近畿の霊場「無漏山真如寺」に、身延七面山より分祀された、七面大明神をお祀りされ初代住職など他多数の由緒ある日蓮宗寺院を歴任なされておられます。
 近世初頭に起った《受不受の論争》は、身延山久遠寺20世の日重猊下・21世の日乾猊下・22世の日遠猊下のご尽力により、今日の身延山の基礎を築かれました。日重・日乾・日遠三師は通称“重乾遠(じゅうけんのん)の三師(さんし)”として尊称されます。「日蓮宗門中興の三師・身延中興の三師」のお一人が、「寂照院日乾上人」という聖人です。

大谷の山間にある慈光院日等上人の墓碑

墓碑の近くには湧き水が出で、
寿の水場と呼ばれている。