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日蓮聖人滅後の鬼子母神様信仰

 もともと日蓮聖人は『祈祷経』を残しており、室町から織豊期にかけて、公武の帰依や庶民の中に信徒が増大するに及び、法華信徒の現安後善(現世は安穏にして、後生は善処に生まれ出る)を祈る本宗(日蓮宗)の祈祷が盛んになって、祈祷の対象としての守護神に変化がみられるようになりました。
 前述した鬼子母一神化がそれであり、その結果として鬼子母神様の木画像に本宗独特な様式が見え出しました。徳川期になると、太平の庶民を導く布教の手段として、修法道が飛躍的な発展を示しました。江戸初期の最高指導者である心性院日遠上人が『祈祷瓶水抄』という祈祷の解説書を著すほどでありました。この本宗の祈祷の展開の中で、法華経で擁護を誓い、大曼陀羅の中に勧請され、一切の鬼神を子とする鬼子母神が本宗祈祷の本尊と定められたのであります。そしてその形像に「鬼形鬼子母神」という、他宗ではみられぬ憤怒形の立像が安置されるようになりました。