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鬼子母神様とは

 「鬼子母神様」は元々インドの神様で、五百人とも千人とも言われるくらい、多くの子供を持っておられたと言いますから大変な子持の神様です。
 その昔、鬼子母神様はインドで訶梨帝母かりていもと呼ばれ、王舎城おうしゃじょう夜叉神やしゃじんの可愛い娘として生を受けました。年を重ねる事に益々美しい女性へと成長していった訶梨帝母は、年頃になり嫁いだ先で、五百人もの子供に恵まれました。
 そんな訶梨帝母は過去世の因縁で、王舎城の人間達に恨みを抱いており、その遺恨が勃発し、人間の幼児を拉致してきては、人間達から恐れ憎まれるようになりました。
 悩み苦しんだ人間達はお釈迦様に相談したところ、お釈迦様は、訶梨帝母に自分の過ちに気付かせ、訶梨帝母の心を救おうと考えました。そして訶梨帝母が一番可愛がっていた末の子であるビンガラを隠してしまいました。その時の帝母の嘆き悲しみ様は限りなかった。その様子を見守っておられたお釈迦様は訶梨帝母に、“千人のうちの一子を失うもかくの如し。いわんや人の一子を食らうとき、その父母の嘆きやいかん”と戒められました。戒めを受けた訶梨帝母は、「これは本当に悪かった…。私が自分の子供達を可愛がるように、人間のお母さん達も、自分の子供は可愛いものなんだなぁ…。私は何という事をしたのだろう…。」と心から反省と後悔をし、はじめて人間達の苦悩の深さを悟ることができました。そして人間達に、拉致してきた人間の子供達を無事にお返しをする事ができましたのでした。それからは人間の子供も、自分の子供と同じ様に可愛がられるようになり、人々からは「小児の神」として、尊崇されるようになったとされています。

 もともと子供達のことが好きだったから、子供達の心がよく分かります。鬼子母神様は不思議な術を使って、子供達の心からの願い事をよく叶えられるようになりました。 鬼子母神様は、はじめは自分の事だけしか考えていなかった(傲慢な心)のですが、お釈迦様に諭されて、自分に過ちに気付かれました。それからは、人の役に立たねばならぬ(無償の愛情)と、心をあらためられた神様ですから、私達がどれだけお願いしても、その心に、自分さえ良ければ人はどうなっても良い、というような自分勝手な者の願い事はきいてもらえません。つまり、祈りの動機が大事なのです。
 無償の愛情(仏様の心)からなる願い事、つまり独りよがりの願い事ではなく、むしろ自分よりも人の為になろうという、人間で一番気高い心から出る祈りは、鬼子母神様が願う心と同じですから、何かの岐路に差し掛かった時などは、鬼子母神様は喜んで、正しい方向へと光を灯して導いて下さる事でしょう。
 私達は、大人も子供もみんな仏様の心に照準を合わせて、まずは自分から努力し、困っている人を助ける事を願い、社会の役に立つ人間になる様に、鬼子母神様への祈りを通して導いて頂きましょう。
 日蓮聖人は“十羅刹女と申すは10人の大鬼神女だいきじんにょ四天下してんげの一切の鬼神の母なり。また十羅刹女の母なり、鬼子母神これなり”と述べられ、鬼子母神様を最重視されておられます。

 いくつもある鬼子母神の説話の中で特に有名なものが、鬼子母はもとは邪神でインドの王舎城の町にきては手当たり次第に人間の幼児をさらってきては、自分の可愛い子供達に人間の子供達を食べさせようとしていたのです。
 人々がこれを憂えてお釈迦様に救いを求めたので、お釈迦様は人々の悲しみを憐れんで彼女の愛子賓伽羅びんがらを鉢の底に隠してしまわれた。鬼子母は七日間もの時間、地獄の世界から仏様の世界まで隈無く探し求めましたが愛子賓伽羅を見つけることができず、ついにお釈迦様のもとに来たって、子供の行方を尋ねました。
 お釈迦様は鬼子母の懇願に答えて、“おまえは万子があるのにただ一子を失って憂悲苦悩している。ところが世間の人々は一子、あるいは三子五子であるのに、しかもおまえはその子供を殺したのではないか”とその悪行を厳しく戒められたのです。
 鬼子母はやっと自らの悪事の罪を悟り、賓伽羅が戻れば二度と人の子供を殺さないと悔いたのでした。そこでお釈迦様は鬼子母に鉢の下の賓伽羅を見せしめました。ところが鬼子母がどのような神通力を用いても子を取りだすことができません。鬼子母はお釈迦様ににすがって賓伽羅を返して下さい願いました。
 そこでお釈迦様は、『三帰五戒さんきごかい』という教えを守り、常に守る事を約束させました。鬼子母はお釈迦様に従い、三帰五戒の教えを受けて、それからは困っている人を助け、仏の道を説き弘める人を守護する誓いを立てられ大善神となりました。
「鬼子母神」という名は、訶利帝(ハーリティ)の意訳で、訶梨帝、呵利底、可梨陀等の字が梵名にあてられており、その意から訶利帝母・歓喜母かんぎも・愛子母・天母・大夜叉女神等ともよばれています。
 鬼の王様、般闍迦はんじゃかの妻で一万の鬼子(五百子、一千子の説もある)の母であるところから鬼子母の名が付けられ、その誕生の時に夜叉衆やしゃゆうが歓喜したところから歓喜母と名づけられています。
 鬼子母神信仰は平安朝の昔から一般的に信仰されておりましたが現在では、法華経信仰者、日蓮宗の僧侶にとりまして、鬼子母神様は単に子供を守る神様ではなく、信仰者の外護神げごしんとして崇められております。
 また、鬼子母神様の事が書かれている経典や、これを祀りお祈りする方法を記している儀軌(密教での儀式の規則)の類は非常に多く、例えば「訶梨帝母経・訶梨帝母因縁経・鬼子母経・大薬叉女歓喜母并愛子成就法・訶梨帝母真言法・呪賊経・十羅刹女法」というようなものから、「毘那耶雑事・南海寄帰内法伝」というような類いに至るまで数多くのものがあります。

(補足)
『三帰』とは仏の教えを仰ぎ尊ぶことを三宝に誓い、帰依の誠を表わすために唱える文である。三宝に帰依することは仏教徒としての根本であり、三宝とは、さとりを開いた人(仏)と、その教え(法)と、それを奉ずる教団(僧)の三つをいい、帰依とは服従し、すがることをいう。『五戒』とは、不殺生(生命のあるものを殺さない)、不偸盗(与えられないものを取らない)、不邪淫(みだらな男女関係を結ばない)、不妄語(いつわりを語らない)、不飲酒(酒類を飲まない)の五つを言います。こうして鬼子母~様はは仏様の弟子となり、人々を救う大善~に成りました。